株式会社イナバプランニングカンパニー 代表取締役
稲葉晴一 氏
1. クレジットカードアドバイザーを受験するきっかけを教えてください。
私は元々クレジットカードを活用して、マイルを貯めることが好きだったため、個人的に調べたり勉強していましたが。あまりにも多くのカードの機能がある為、調べきれず人へ伝えることまではできず。好きという領域で止まっておりました。効率的にカード本来の価値と仕組みを勉強することができるのではと思い受験することにしました。
2. ご自身のキャッシュレスの恩恵を教えてください。 (どのような得をしたか、マイルで旅行した時の感動した話など)
毎年、夫婦で国内旅行を楽しんでいます。最近では良質なクレジットカードを持つことができましたので海外までのマイルを効率よく貯めることができています。
3. お客様とクレジットカード払いについて、どのような話をしていますか?
『将来の中長期的なお金を貯めながら一緒に思い出や夢も貯めませんか?』という話をして楽しい時間にするように心掛けています。
4. お客様に喜ばれたエピソードを教えてください。
経営者の方で日ごろ、会社でも個人的にもクレジットカードを使うお客様へ
私のクレジットカードの使い方をそのままお伝えしました。その後、初めてファーストクラスに乗ったと喜びのご連絡とお土産をいただきました。
5. これからクレジットカードアドバイザーの受験を考えている方へのメッセージをお願いします。
今後クレジットカードなどキャッシュレスの時代は確実に到来すると考えております。
金融知識同様にクレジットカードについての知識は今後必須知識となると思います
プロフィール
1982年生まれ、埼玉県出身。徹底した相談スタイルを貫く事にこだわり、ファイナンシャルプランナーとして住宅ローンや教育資金、老後資金の準備など個人、法人問わず今までに約7,000件以上を担当。お金について考えていただく事をテーマに一人一人にあったマネープラン、ライフプランを考えアドバイスしている。
https://www.inaba-plan.com/greeting/
現在は、これまでの経験を活かし、
◆一般消費者を対象としたマネーセミナーや相続セミナー
金融業界向けの講演や、社員営業教育、営業セミナーは年間20件以上
◆金融コラム執筆など幅広く活動している
◆保険の達人として掲載される。
http://hokennotatsujin.com/inaba/
略歴
2001年~2012年募集人登録後3か月でトップセールスになり、その1年後には新関連会社であるアイネスの代表取締役に就任。
2009年には、3社合併により事業拡大。社名をユマニテに変更後、役員に就任。2013年~現在2013年イナバプランニングカンパニー代表に就任後、取扱保険会社数を多数増やし、2014年には保険ショップ『よくわかる保険の相談窓口1号店』を開設。2016年金融サービスのプロフェッショナルが集い、世界中から承認されている国際的独立組織「MDRT(Million Dollar Round Table)」のメンバーとなる。
MDRT
稲葉晴一は、国際的かつ独立した組織「MDRT(Million Dollar Round Table)」の一員です。国内のMDRT会員数は5,165名(2017年4月1日現在)です。生命保険分野のプロフェッショナルとして活動しています。
19歳で保険代理店のキャリアがスタートしました。
私は埼玉県のさいたま市(旧:浦和市)で生まれました。
私の家は祖父と祖母と父と母と姉の5人家族で、祖父は大手広告代理店で働き、父は商社マン、祖母は自営で呉服店を営んでおりました。当時は景気もよく不自由のない生活でしたが、ある時、祖父が広告代理店から独立、会社を設立して銀座に事務所を構えましたが、2年ほどで倒産しました。
その数年後に父が勤める大手商社も倒産、父は就職先がみつかるまでの間は祖母の呉服店を手伝っていました。その後、父は塗料メーカーで働くようになり家の財務状況も回復してきたころ、祖母の呉服店が資金繰り悪化により閉店となりました。その頃、祖父は保険の仕事を始め独立して事業を始めておりました。元々父は塗料メーカーを退職し祖父の保険事業を受け継いでいく覚悟を持っていたようで、呉服店の閉店後と、塗料メーカーを退職、退職金は祖母の呉服店の負債の返済にあて、我が家はなんとか立て直すことができました。
当時を振り返るとお金のある生活から急にお金がない生活とジェットコースターに乗っているかのように生活環境が変わりました。
この時、計画性のあるライフプラン作成し、正しい金融知識を使って我が家の事を考えてくれるパートナーがいたら今とは違うことが様々あったと思います。
当時、学生だった私は、なにか学びたいという気持ちよりも働いてお金を稼ぎたい気持ちが強かったと思います。学生だった私は大学を中退、19歳で保険代理店へ就職しました。
働けば働くほどうまくいっていた。
当時は時間を忘れ、無我夢中で働きました。仕事が楽しく楽しくて仕方がありませんでした。日々新しく学ぶことが多く、学んだことを自分なり工夫してお客様に伝えると、お客様の反応が変わりました、お客様から感謝の言葉をいただく度に成長を実感でき、毎日ワクワクしていました。
数か月働き仕事に慣れてきたころ、かなりの高い確率で契約に結びつけられる事ができ、自信にあふれていました。契約が取りやすい安価ながん保険と医療保険を中心に現在の保障内容と比べていただき契約につなげるご案内をしておりました。
今、思うと契約は取るもではなく、お預かりするものだと思います。取ると言うと、相手は取られたという事になります。
一生消えない後悔の念、そして人生の大きな転機。
保険を売るということに、自信があり、売る上げをあげることに夢中でした。
25歳の時でした、私の働き方を大きく見直す転機が訪れました。
当時の私は売りやすい商品を売る、利益の高い商品を売ることに夢中でした。
あるときお客様から連絡があり、病気になったと。病名は‘がん’でした。保険は下りるのか?今から手術をして、そのあとは抗がん剤の治療になると思うが、いくらくらい下りるのか?
保障内容をすぐに確認しました。ご契約内容はお客様に給付金としてお支払いができる内容でしたが、
内心、私は愕然としました。お客様にご加入いただいている保険では、‘がん’という病気では十分な保障額を受け取ることはできないであろうと思う内容でした。
お客様は「自分が選んだものだからしょうがないけど、これでは意味がないよね・・・こんな身体では仕事もできないし・・・こんなもんか保険は・・・これからどうしようか・・・」
お客様の落胆と不安の表情。まるで僕が存在してないかのような無言の時間。
息苦しくて、早くその場から逃げ出したい気持ちでした。ずっと悩みました。なんのための保険なのか、、自分の仕事は人の役にたつ仕事なのか、人を苦しめる仕事なのか、本当にお客さまの為になる保険を提案できていたのか、自分の利益のために営業をしていただけではないのか。悔やんでも、悔やんでも悔やみきれませんでした。
そして、今までの保険代理店のあり方や、考え方、売り方に疑問を感じました。自分や会社の利益のために保険を売る(案内する)のではなく、お客様の夢の実現をサポートする。お客さまの人生、守りたいもの、大切にしたいもののために保険を一つの解決策として考えていただく。それが本質であり私が大切にしたいことだと。
「よくわかる保険の相談窓口」を設立した原点。
それから私は現在の「よくわかる保険の相談窓口」を店舗に、株式会社イナバプランニングカンパニーを設立しました。当社は‘すべてのお客様の人生をベストコンディションに’整えるために様々な取り組みを実行していき、すべてのお客様の人生をベストコンディションにしていくことを目指す会社です。
私はもう絶対に、不適切な保険を提案し、後悔はしたくありません。当社の社員にも同じ思いをして欲しくありません。その為に当社では独自の5つの社内評価基準を設けました。
それは、利益の高い保険を売ったからといって評価はあがりません。売り出しキャンペーン中の商品を売ったからといって評価はあがりません。お客様のために高い専門知識と金融知識を駆使して、満足度の高いプロフェッショナルなサービスがどれぐらいできているかを評価します。
私たち社員は全員同じ想いです。お客さまの人生をベストコンディションにする為になにができるか、ぜひ考えさせてください。